カラオケ採点に思う事
音楽に好んで接している中で、時に様々なジレンマを感じる事があります。
私にとってカラオケの採点もそんな一つです。
テレビでもよく採点を競う番組を見かけますが、エンタメの一つとしては十分楽しめます。
小さい子や、若い女の子が、大人顔負けの美声で歌い上げる姿は楽しく、微笑ましい姿です。
でも、カラオケの採点で評価される基準はその音楽を評価する上での一つの指標にしかすぎないという事もちゃんと理解しなければならないと思うんですよね。
多くの方はちゃんと理解していると思うんですが、一部誤解されている方もいるような気もしております。
歌にとっては「歌唱力こそが一番大事だ!!」と思っている人もまあまあいるような
感じがするんですよね。
某テレビ番組でも「ナンバーワンボーカリストランキング」などもよく見かけます。
これらも概ね指標としては歌唱力が中心のような感じです。
でも、そもそも表現は、多種・多様でトータル的な魅力こそが大事であると思うのが・・・。
なので機械が採点した結果でどうこういうのは私にとっては「?」と感じてしまうのです。
それと同時に、忌野清志郎や甲本ヒロトが歌ったら何点なんだろうなとも思う訳です。
(ちょっと皮肉を込めて言えば・・。)
音楽は数値等で判断されてしまうと俄然つまらなくなってしまうような気がします。
例えば80年代から90年代初頭にかけてギターにおいて速弾きがとても流行りました。
一歩間違うと早ければ早いほど良いというような風潮さえありました。
世のギターキッズ達はこぞってコピーしたものです。
しかし、その後時代を席巻したのはグランジやブリットポップといった速弾きとはかけ離れた音楽です。
結局音楽はオリンピックじゃないんですよね。
「ヘタウマ」という独特な表現があります。
これは下手だけど人を惹きつける魅力があるような事をいう表現ですが、
私の大好きなジミーペイジはまさにヘタウマの代表格です。
ツエッペリンのライブを初めて聴いた人の多くは、なんだこの下手なギターは
と思う人が多いと思います。
しかし、彼の織り成すフレーズ、グルーブ、世界観は、うまい、ヘタで表現されるような代物ではないと思います。
音楽という物は空間全体が織りなす物で、決して一つの事柄で判断されるべきではないのです。
一方でその人が良いと思いう物を否定できない事も事実です。
音楽の評価軸ってホント難しいと思います。
まあ結局その人がどう感じるか。
それに尽きるんですよね。
また愚痴っぽくなってしまったかなあ・・・。
ではまた。