シティポップ考察
今から2〜3年くらい前からでしょうか。
一部メディアで「シティポップという音楽が一大ムーブメントを起こしている。」と話題となり始めました。
最初は何の事か良くわからなかったのですが、
よくよく聞いてみるとYouTubeなどを通じて日本の80年代ポップスがシティポップと呼ばれ海外から再評価されているとの事。
特に人気があるのは松原みきや山下達郎、竹内まりや、大瀧詠一などなど。
往年の面々が名をつらねているではありませんか。
どうやらシティポップというのは、ジャズやフュージョンをベースとした都会的な雰囲気のサウンドといった感じのようで、
ちょうど2年ほど前にYouTuberの、みのさんがシティポップについて動画をアップしております。
参考までに。
そして現在のシティポップの代表格である松原みきの「真夜中のドア」
まあこの時代の日本の音楽が世界に評価された事はそれはそれでとても嬉しいですが、ちょっと不思議な感じもしております。
今はもう亡くなってしまった松原みきも恐らくこの状況は想像だにしてなかった事でしょう。天国で戸惑っているかも知れません。
ただ冷静に考えると同時の日本の音楽(作曲・アレンジ等含め)は確かに相当レベルが高かったんだろうと思えます。
今聴いてもかっこいいし、タイトだし、うまいし・・・。
そこで日本のポピュラーミュージックのレベルの高さを考えた時に、その原点は一体何かと考察してみると、意外な日本の特殊事情が関係しているという事に気づきました。
それは、今から約80年前、日本はアメリカとの戦争で敗れ、戦後はアメリカの占領化に置かれていましたという点です。
そしてその占領政策によってアメリカの管理の元で日本社会は成り立っていて、
そこでは恐らく、現代の日本人が考える以上にアメリカ文化の影響が色濃く反映されていたのだと考えられます。
当然音楽も同様で、ジャズ、ロックなど様々なアメリカ音楽が日本人に浸透していったのでしょう。
よく昔の日本のミュージシャンが駆け出しの頃、米軍基地で演奏していたっていう話聞きますよね。
なんとなく当たり前に思っていましたが、世界的にみてそんな環境にある国は、日本くらいじゃないでしょうか。
日本人は何気に肌感覚でアメリカ文化を吸収していた訳です。
話は変わりますが、先日近くのショッピングモールへ行った際に、タワレコを久しぶりに覗いてみると、そこには「ナイアガラトライアングル」がドーンと陳列されておりまました。
「ああ、やっぱりそうなんだなあ」
大瀧詠一の福生45スタジオもまさに米軍ハウス改造して作られたスタジオ。
気が付けば私は今後世界で流行するであろう日本の音楽について思いを馳せていました。
私は一人ほくそ笑みながら心の中でささやいておりました。
「意外なルーツを持つ日本の音楽に敬意をこめて。」
皆さんはどう思いますか?
ではまた。